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歴史的啓示「黙示録」の真実について①

歴史的啓示「黙示録」の真実について①

By photo-AC

※この黙示録シリーズは、2つの記事、
進化レヴェルの5つの大枠について(1)
進化レヴェルの5つの大枠について(2)
を源とするメッセージとしてお届けしています。



リオ・オリンピックが始まりましたね。
多くの日本人選手がメダルを取り、その大活躍が連日に渡って報道されています。

こうした華やかな祭典が行われている一方で、依然として世界には様々な課題が山積みされています。

8月6日はヒロシマへ原爆が投下され、9日には長崎に原爆が投下された日であり、改めて「戦争とはなにか?平和とはなにか?」について考えさせられる機会となりました。

8月8日には、天皇陛下が生前退位を予感させるような「お気持ち表明」をされています。

日本の天皇家が動くということは、必然的に世界宗教の中心地であったバチカンも連動して動くことになるでしょう。

そのバチカンが深く関わっているとされる、宗教界を震撼させた神からの警告とされている「ファティマ第三の予言」、そして「ヨハネの黙示録」。

お盆時期でもある8月は、先祖供養と同時に、日本人にとって忘れられない戦争の記憶も重なり、さらには日本の核でもある天皇家が動くという特別な月となりました。

この機会に、改めて人類の歴史を通じて予言されてきた歴史的啓示について振り返り、そのメッセージが意図するものとは一体なんなのかについて理解することは、とてつもなく重要なことだと感じます。

詳細については、後ほどシェアする内容をお読み頂ければと思いますが、これらの予言の核心を先に示すと、「いよいよ本気で(悔い)改めなさい=目を覚ましなさい」という天からのメッセージだとされています。

「ファティマ第三の予言」の内容については、正確に公表はされていませんが、ローマ法王がそのあまりの内容に衝撃を受けて、公表を躊躇していると言われています。

内容としては、おそらく第3次世界大戦のようなものだと思います。

私が2016年上半期に秘伝を授かった神道プログラムでも、一子相伝である神道界のトップが次のように言及していました。

『 黙示録が現実になる可能性もある 』

黙示録は非常に難解な予言とされており、正しく読み解ける者は数少ないと言われています。

こうした予言については、伝言ゲームのように、人から人へと伝承されるにしたがって、歪んだ解釈になってしまうことはよくあることで、ほとんどの人々にとって理解不能な啓示となってしまっています。

しかし今、神道界のトップ、そしてヨガの聖者たちが指摘し、改めてスポットライトが当てられている黙示録について正しく理解しておくことは、今後の私たちの「生き方」や「進化プロセス」に大いに役立つため、このタイミングでシェアしたいと思います。

真実を知る過程では、耳の痛いことを聴き、見ることを避けてきたものを直視しなければならないときがあるものです。

黙示録とは、ギリシャ語で「黙してきたものが示される」、つまり「隠されていたものが明らかにされる」ことを意味しており、それを現代的に翻訳するならば、「今まで見ることを避けてきた真実を(勇気をもって)見るときが訪れている」という意味が含まれています。

もっとも有名なのは、新約聖書にある「ヨハネの黙示録」ですが、旧約聖書の「ダニエル書」も黙示文学として分類されているようです。

また、現代で黙示録というと、「終末的な意味合い(=ハルマゲドン)」や「人類規模の破局(=カタストロフィ)」のようなニュアンスで用いられていますが、それも人間の恐怖心から作り上げられた1つの見方・捉え方に過ぎません。

本来はどのような現象も「中立的なもの」であって、特定の意味づけは存在していないと言われています。

意味づけをするのは、人間のマインドです。

「危機」だと捉える人もいれば、「成長のための機会」だと捉える人もいます。

私は、常に「ピンチはチャンスでもある」と考えています。

改心する機会は、今までも何度も私たちに与えられてきましたし、(しかし多くの日本人はそうしたメッセージを散々無視して来たわけですが)最後のチャンスはギリギリのところで残されています。

神道でもヨガでも、沈みゆく地球号を救おうと、繰り返しメッセージを発信しつづけているのです。

あとは、私たちがそれに耳を傾けるのかどうか。

進化を選ぶのか、退化を選ぶのか。

進化を選ぶときには、多少なりとも痛みを伴うチャレンジは必要になってきます。

なぜなら、人間は、多少痛い思いをしなければ、本腰を入れて目を覚まそうとしない怠惰な生き物だからです。

多くの場合は「現状維持」を望む傾向にありますが、それは慣れ親しんできた状況が心地いいからに他なりません。

黙示録やファティマ第三の予言は、「愛深き(進化のための)メッセージ」だと、私はとらえています。

もちろん、これらの予言に記されている「最悪の事態」については外れるほうが良いと思いますし、進化を選択すればそうした事態は回避できる余地が残されていると思いますが、それであっても地球の過去の歴史を振り返ってみれば、幾度となく巨大な文明は崩壊してきたという史実がありますので、そうした教訓を活かせるかどうかは、私たちひとり一人の選択にかかっているわけです。

本来こうした予言の目的とは、人々を恐れさせるようなものではなく、進化成長のための教訓=愛のムチなのです。

以前の記事にも書いたように、「ネガティブ・アプローチ」だということですね。

高くジャンプするためには、いったん深くしゃがみこむ必要があります。この「深くしゃがみ込む」部分こそが、「痛みを伴うチャレンジ=積極的にリスクを取る」ことになります。

成功者や聖者たちは、ほぼ例外なく、積極的にリスクを取ること、つまり「進化へのビッグチャレンジ(=思い切った行動)」を習慣化しています。

黙示録についても、ファティマ第三の予言についても、「進化成長のためのビッグチャレンジを促すメッセージ」だと捉えることができれば、これはまたとない絶好の機会でもあるわけです。

このブログで紹介する目的も、そこにあります。

それではここで、より正確な理解を持って頂くために、私が深くご縁をいただいたあるマスターからのメッセージを引用してご紹介したいと思いますので、じっくりと読んでみてください。

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黙 示 録 ①

バチカン1
By photo-AC

 
これから君達に、来たる新時代の複雑で最も難解なテーマ、ハルマゲドンについて伝えたいと思う。

そう、黙示録、および地球の大変異とか破滅、暗黒と呼ばれる事柄である。いわゆる大破滅が起こるかどうかについては、君達の中でもさまざまな解釈があるだろう。実に多くの説があるのはわたしも知っている。あそこでも、ここでも、ハルマゲドンについてあれこれと噂する。はて、誰が正しいか、一体なにが起こるのか・・・?

さて、わたしの話を「地球の人々は、宗教と宗教的信条から生まれた数々の偏見を持っている」という点から始めよう。それは当然である。人々が従っているのは、先祖から受け継いだ独断的な教義(=ドグマ)や教えなのだから。だがそのため、多くの人々は「黙示録の真の意味」を理解するのに必要な明晰的な知覚力を曇らせてしまっている。

これまで、自分自身でヴィジョンを幻視した人たちもいたが、彼らのヴィジョンはどこから生まれたのだろうか?いわば怖れ震えながら幻視したこともあったのではないだろうか?神への愛ではなく、神への恐怖からヴィジョンを幻視した場合、恐怖があるにもかかわらず真理の光がやってきたことになる。そうであれば、その解釈は真理の光を含んではいても、恐怖という色眼鏡を通した見方になる。

それゆえ、我々は警告しよう。地球に恐怖が満ちていることに留意して、それに惑わされないようにしなさいと。人と神が真にひとつになるなら、恐怖はない。神は全智であり愛なのだから。神は究極において愛する神であり、罰する神ではない。

これがわたしの話の出発点である。他の高度に進化した聖者やマスターたちが述べてきたように、「死」というものは実際にはない。また、真の意味では、破滅や破壊があるわけでもない。実のところ、神の目には、すべては愛すべきものであり、平和そのものなのである。だが、人の目にはまったく違うふうに映ることを君達もよく知っているはずだ。

君達は、わたしが進化のプロセスと高次の自己(ハイヤーセルフ)の本質が完璧であることについて講義してきたのを覚えている者もいるかもしれない。わたしが「堕落~物質界への降下」について語ったことも覚えているだろうか・・・。他のマスターたちも、地上の状態が制限のない無限の状態から、制約や条件を持つに至った経緯について幾度となく語ってきた。世界がどのようにして、論理や教条、また善悪の判断が充満する制約に縛られたものになったかをよく思い出してほしい。社会が発展する過程で、ますます多くの教えが真理からかけ離れていってしまったのだ。

君達はこう言うかもしれない。「でもマスター、それはあなたの意見で、僕たちには僕たちの考えがある」と。それならそれでいいのだ。宇宙を見渡してごらん。宇宙はひとつで愛すべきものであることがわかるだろう。だが、そうしたいなら、この宇宙の中に人は好きなように何でも創り出せばいい。もし人が恐怖と破壊をその中に入れたいのなら、好きなようにそうすればいい。原初より人はそうしてきたのだから。そして万一、人がまだ恐怖と破壊の方程式を続けたいのなら、人は何度も繰り返し恐怖と破壊の因果より教訓を学べばいい。地球上のカルマをすべて終えるまで、飽くことなく輪廻転生を経験すればよい。それならそれでいいではないか。そうなるであろう。だが、そうした機会は地球ではない別の場所で与えられる。別の星だ。

ここで君達は「ちょっと待ってください。あなたの言ったことでよくわからない点があります。」と言うかもしれない。さて、それは単純なことだ。ヨハネ黙示録や地球についての他の予言によれば「解放の時が来る」と記してある。ヒンズー教では「偉大な存在、カルキが白馬に乗って現れる」とされている。皆にもわかるだろうが、それは黙示録における、最初に現れる白い馬とその騎手に相当する。この者は輝ける光の存在である。カルキの第一任務は、太陽の王たちを眠りから解放することである。王たちは東ヨーロッパのどこかの洞窟で眠っているとされている。これはヒンズー教のヴィジョンであり、幻視された太陽の王たちは、地球の真の指導者を表している。

ヒンズー教によれば、この地球は現在「シュードラの王(物質主義者の王)」によって支配されている。つまり、指導者として不適格な輩たちがリーダーなのである。そうだろう。わたしが見るところも同じであり、ヒンズー教の見解は今の時代を正しく描写していると思う。世界のあらゆる宗教は、この世の終末を迎えたあと、新しい生命の秩序がどうなるかについての啓示的な未来像を持っている。

不幸なことに、人の世界でこれまで起こったことは「幻影」である。つまり、出来事とは世界を久しく支配してきた「男性原理」を通して見てきたという点で幻影なのである。またそれは、人間的哲学と洞察力という枠組みの中にあり、その限界に縛られている。次の点によく注意してほしい。「誰もが自分の知識と、教えられてきた見方による限界から物事を判断している」のだ。また、自己(セルフ)の一部がこうだと想定したものを真実だと思い込みやすい。なぜなら、人の頭(マインド)は、その人が知っていることに基づいてのみ何かを考えるからである。それは、ある象徴を何の理由もなく夢の中で創り出すことはない、ということだ。必ず何か参考になるものがあり、それに基づいて論理を組み立てるのだ。

ノストラダムスが生きていた頃は、誌的な方法で語るのが当時の作法だった。これと同じように、聖ヨハネも彼が幻視したヴィジョンを詩的に語った。ヒンズー教でも同じことが言える。ヴィヤーサであれシャウナカであれ、偉大な預言者たちは詩的な方法で語っている。彼らは、彼らが生きた時代に親しまれていた象徴(シンボル)を用いて語った。それが当時の人々が理解できる表現であったからだ。

残念なことは、彼らが描き出したのは「世界の終末とその後の新しい時代のほんの冒頭部分だけにすぎなかった」ということだ。彼らは、その先の世界がどうなるかについては見通すことができなかったのである。

「いわゆる “ 限界 ” が取り払われ、解き放たれる。」

彼らが指摘しているのは、たったそれだけだ。限界からの解放とは、ノストラダムス的見方によれば「死」を意味しており、一方、聖ヨハネはそれを「神秘」としてとらえた。事実、ヨハネはこの神秘の道をたどった者である。彼がたどった道とは、実は彼自身が個人的に実現した進化プロセスの道だった。これについてはのちほど説明しよう。

さあ、黙示録の世界を見てみよう。なぜなら、我々は「地球の終末」と呼ばれる時代にいるのだから。この終末とは、すべてが終局を迎えることではない。それは、「新しい秩序のはじまり」でもある。新しい秩序の中で、人は現在のように時空を直線的にとらえるのではなく、時空の新たな認識を獲得して生きていくだろう。その時、我々は新たな時間の理論体系を採用することになる。それは、物理学者たちが、ニュートン力学が時代遅れになったことを発見するのによく似ている。事実、現在では物理学の新たな理法と原理が存在している。まさに、それは近年物理学者たちが特に意識しはじめた領域の事柄である。彼らは、万物のすべての基礎には「神秘(=サムシング・グレート=偉大なるなにか)」があることを発見しているのだ。

『見通せない不可解きわまる神秘が覆う完全なフィールド。それは、人の予想だにできぬ統一された神秘。そこでは物体が浮き、液体は下方ではなく上方に流れる。部屋の片隅で笑えば、別の片隅にも笑い声が立つ。それは、超流動性と超伝導性がみなぎる領域。』

友よ。これはほんの始まりにすぎない。新しい時代の幕がひらく。人類史上もっともワクワクする時代に突入する。君たちが禊(みそぎ)~心身の純化~を実現すれば、人間が歴史の中で当然視してきたものをおぞましく感じるようになるだろう。浄化された新しい時代が、ついに始まるのだ!
 



【※次の記事】歴史的啓示「黙示録」の真実について②



プロフィール

ヴィシュヌ・ワークス代表matsuya
五次元アカデミー主宰/人財教育・能力開発トレーナー/インドヨガ&瞑想教師(ワンネス・ユニバーシティ認定トレーナー)/経営コンサルティング/コーチング/セミナー講師/ビジネス・プロデューサー
【会社所在地:〒060-0062 札幌市中央区南2条西7丁目1-5 2・7ビル2F】

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