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神我の覚醒体験について

神我の覚醒体験について


神我の覚醒体験について



ここでは、私自身の神我の覚醒体験について記したいと思います。

覚醒までの背景について



プロフィール2-4

私は、人生の前半期のほとんどを、数々の病気に苦悩しながら生きてきました。

子供心に、いつも次のように感じていました。

「なぜ人生はこんなにも苦しいんだろう?」
「なぜ自分はこの世に生まれてきたんだろう?」
「こんなに苦しい人生なら、産んでくれなければ良かったのに」

そのような怒りや無力感に失望しながら、毎日を生きて来ました。

存在していること自体が耐えられませんでした。
自分自身がどうしようもなく嫌いで、徹底的に自己否定をしながら、幼少期や思春期を過ごしていました。

あまりの苦痛で、何度か自殺を試みたこともありましたが、最後の最後で、死ぬ勇気がありませんでした。そんな小心者の自分が余計に許なくなっていったのです。

生き地獄を味わいながらも、死ぬに死にきれず、楽になって解放される道を模索するしかありませんでした。

ごく初期の頃は、西洋医学の医者を頼って探し回り、病院を転々とする日々を送っていましたが、病状が良くなる気配はまったくありませんでした。

一体、どれだけの病院を渡り歩いたことでしょうか。

次第に、病院を探すことに疲れ果て、強い憤りと同時に、「なぜ現代の最先端医療の技術をもってしても自分の病気は治らないのだろうか?」「人間の体とは、どのような構造になっているのだろうか?」というような、「より大きな問いかけ」を抱くようになっていったのです。

と同時に、私自身の本質として眠っていた「天性の探究心」に火がつき、次第に自らの肉体を人体実験の道具として、一般常識を超えたところにある、多種多様な実践を試すように変化していきました。

手探りではありましたが、西洋医学以外の手法である東洋医学や代替療法、古代の伝統医療などを学びはじめ、その範囲は遺伝子工学や量子力学などにまで及ぶようになっていきました。

自らの身体を実験材料として、ありとあらゆる方法論を試しつづけました。

それはまるで苦行的な試練の日々でしたが、背に腹は代えられませんでした。

外側での顕著な変化はすぐには訪れませんでしたが、内側(水面下)では確実に何かが変化していたのです。

あとで知ることになるのですが、こうしたプロセスの中で、実は「根本的な解決策への扉」が1つ1つ、大いなる啓示として提示されていたのです。

そして、最終的に、それらの要素がすべて出揃ったときに、私の病は完全に消え去っていました。

これが、私が「五大元素」と呼んでいる、宇宙を支配する根源的なエレメントとの出会いでした。
( ⇒ 詳細は「能力開発奥伝コース」にて解説しています)

五つのエレメントは、段階的に与えられてきましたが、それらの活用によって、私の身体は確実に癒されてきました。

当時の私は、次々と与えられてきたエレメント(元素)について意味も理解できないまま、しかし何かにとりつかれたかのように夢中になって実践していきました。

そして、各エレメントのワークの最終段階に達したときに、あれほど苦しめられてきた病は、ついに消え去っていたのです。

こうして、私の病は完全に癒されました。

しかし、実は、それだけでは終わりませんでした。

それこそが、私が「ギフト」と呼んでいるものなのです。

これらの各エレメントの積極的活用によって、単なる病気治癒というレベルを超えて、私に「神我の身体=ライトボディの覚醒」というギフトまでが与えられていたのです。

これは、本当の自分(=神我)との再会とも呼べるものでした。

これこそが、本当の自分の姿だったです。

長年、自分自身を否定しながら生きてきた私でしたが、心の奥底では、本当は自分自身を好きになりたかった。

どうすれば、自分自身を受け入れることができ、愛することができるのだろうか?

自尊心を持ち、自己価値を高く持って、素晴らしい人生を生きたいと、本心の部分では強く強く渇望していたのです。

そして、ライトボディの覚醒によって、まさに最大の願いが与えられたのです。

実は、私が苦悩し、毛嫌いしてきた「数々の病気」は、神我を覚醒させるための「大いなる恩寵(=天からのギフト)」だったのです。

私が授けられた「五つのエレメント」は、古代より秘儀として伝承されてきた錬金術につながる聖なる元素でした。

そのような奇跡的な恩恵を与えられてきたことがどれほどのギフトであったか、当時の私には思いもよらないことでしたが、このような形で私に与えられてきた宇宙の叡智を、多くの人々の意識の覚醒のために分かち合うのが私に課せられた天命だと、次第に自覚するようになっていきました。

これが、私自身の天命に目覚めるまでの簡単な経緯であり、下記に記した数々の覚醒体験の序章となります。


覚醒体験の詳細内容について


1.究極の静寂と安堵感

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私の1度目の覚醒体験は、「途方もない静寂と安堵感」という形で訪れました。

それは、完全なる「目覚めへのシフト状態」だと明らかに自覚できる体験でした。自分自身が海面を漂う小波にフォーカスした状態から、意識がなにかに引っ張られるようにアウトフォーカスされ、気づけば、生まれることも死ぬこともない、全くゆらぐことのない不動の大海そのものとして最初からここに存在していたのだ、という強烈な確信が伴う体験が起こったのです。

それは、言葉では言い表すことのできない、圧倒的な静寂体験であると同時に、究極の安心感・安堵感が伴う感覚でした。遥かな分離の長旅が終わり、ついに生まれ故郷に帰ってきたのだ、という静かなる喜びがそこにはありました。


2.宇宙意識への拡大

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2度目の体験では、意識が自分の肉体を超えていくという体験でした。

肉体にフォーカスされた意識状態が、圧倒的なスピードで無限大に拡大していったのです。狭い肉体を抜け出たと思った瞬間に、自分の住んでいる地域全体の意識となり、次には日本全体の意識になり、意識の拡大は留まることを知らないまま世界全体にまで広がっていき、ついには惑星意識そのものになっていました。

しかし、それだけでは止まらずに、惑星地球をも抜け出し、さらには太陽系、銀河系、島宇宙にまで広がっていき、最終的には「宇宙の端」にまで到達していました。

意識の拡大が静まった際に気づいたのは、自分の中に惑星地球や太陽系や銀河があって、宇宙全体が、自分の意識の内側に漂っていたという、想像を絶する体験を味わっていました。

そのとき悟ったことは、小さな自我意識(=私というエゴ)を超えた「大いなる私(=大我:I AM)」という意識が、万物のすべてをあるがままに目撃・観察しているという状態にあったことでした。

全世界・全宇宙のすべてが、大いなる偉大な私(=サムシング・グレート)という広大な意識の内側に存在していたのです。


3.否定性の解放

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3度目の体験は、「強烈な否定性の解放」を伴うものでした。

これは、ブッダが悟りを啓く直前に悪鬼邪鬼に悩まされていたエピソードに似た体験であり、悪夢のような強烈なフラッシュバックを伴う解放となりました。人類の歴史がはじまって以来続いてきたネガティブな記憶、あらゆるおぞましい因果の記憶が、恐怖と憎悪の感情を伴って私の意識から瞬間的に解放されていきました。早朝のまどろみの中で起こった体験でしたが、あまりの恐怖に、着ていた衣服が無残なまでに引き裂かれていました。


4.分離感が消え去った統一意識の体験

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4度目の体験は、「身体感覚が消え去ってしまう」というものでした。

自分の身体そのものが消え去って、座っていた椅子と一体化し、寝ていた床と溶け合ってしまう体験が起こりました。すべてとの分離感や境界線が消え去り、見るもの、触るものとの瞬時のワンネス体験がしばらくの間起こり続けていました。


5.究極の愛のエクスタシー体験

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5度目の覚醒体験は、究極のエクスタシー体験として起こりました。

ハートから愛のエネルギーがほとばしり、それは、とても言葉では言い表すことができないほどの気持ちよさ、心地よさ、究極の至福体験でした。

ハートのセンターから、「愛」と呼ぶほかのない至福のエネルギーが発せられて、私の全身を包み込んでいました。

その愛のエネルギーは、私の身体や心を至福で満たしただけではなく、私の周囲にあるものすべてに伝播していきました。

部屋にある家具家電や、壁、そして空気などのありとあらゆるものが「愛の振動(ヴァイブレーション)」によって喜びの振動数に変化していたのです。

そのとき、有機物も無機物も、すべてが同じ「愛」で出来ていることを実体験として理解しました。

私を包むすべてが愛で満たされ、そのあまりのエクスタシーさによって、完全な「忘我の境地」となり、ただ存在しているだけで幸せである、という究極の至福体験となりました。

たとえていうなら、それは性的体験の数兆倍以上に匹敵するほどの気持ちよさであったと思います。

ただただ、存在しているだけですべてが満たされてしまい、外側のどんな形の愛や成功でさえ、そのときの体験とは比べようもないと思えるほどのものでした。


6.神意識の体験

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そして、6度目は、インド滞在中に起こった「無条件の感謝」と「神意識」の体験でした。

滞在中に起こったある出来事をきっかけにして、私は抵抗のできない「絶望の淵」に陥いりました。どうしようもない絶望感、どうしようもない無力感。いかに人間が無力なのかを嫌というほど味わい、強烈に打ちひしがれていた状態が反転して、内側から沸き起こる「理由のない至福感と喜び」。一体、これはなんなのか・・・?

この喜び、この至福。この光明。気づけば、私を苦しめてきたあらゆる記憶たちが、すべて「愛と許しと感謝の記憶」に変化していました。これが、神の力なのか?なんという愛。なんという慈悲。

自力では抜け出すことのできない地獄の底にいた私を、神の恩寵によって救い出してくれたのです。いついかなる時でも、決して見放すことなく、忍耐強く見守りつづけてくれていた、助けてくれていたのだという実感とともに、無条件の感謝がハートから泉のように湧き出てくる体験となりました。そして、生まれてから今まで関わってきてくれたすべての人々は、実は全員が神自身の御姿だったということを悟ることができたのです。


7.分離感の完全な消滅

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7番目は、他者との分離感の完全な消滅でした。

数日間かけてリトリートに参加した翌日の体験でした。ある会合に参加する目的で、地下鉄に乗り込もうとした、まさにその時でした。

地下鉄に1歩足を踏み入れた瞬間、周りの乗客との分離感が完全に消滅してしまい、「他人=自分」という強烈な体験がやってきたのです。

他者との完全な一体化が起こってしまい、目に映るすべての人々があまりに愛おしすぎて、ただただ、言葉にならない歓喜に酔いしれていました。

そこにはもはや、「私(=神我)」以外は存在しておらず、見るもの、触れるものすべてが、「大いなる私」として感じられるのでした。

至福の中で会場に到着すると、今度は「360°全方位の視点」という体験が突如として起こりました。

ある物体に意識を向けて眺めていたとき、通常は人間の肉眼では1方向からしか物体を見ることができませんが、そのときの視点は、「全方位」つまり「360度」すべての角度から物体を眺めることが可能だったのです。

正面から見ているのと同時に、真上からも眺められ、さらには真下や裏側からも眺めている状態でした。

そのとき、気づいたことは、「人間は限られた視野だけで物事を見ているが、神我の視点は全方位であり、どのような角度からもすべてを見ることが可能なのだ」という悟りでした。




あとがき



目覚め・覚醒の体験は、70億人いれば70億通りある、と言われています。

そして、このプロセスは、私たちの意識が完全な光に統合されるまで、永遠と続いていく久遠のプロセスです。

ですから、私の体験がそっくりそのままみなさんに当てはまる訳ではありませんし、すべての体験がプロセスの途上です。

ただ、今振り返ってみれば、これらの体験のきっかけはどれもすべて「人間関係から起こったプロセス」でした。

人生とは人間関係です。

そして、恩寵が最も流れるのは、人間関係を整えることによって可能となります。

この体験記が、すでに似たような体験をされている方にとっての確認材料となったり、これから体験が起こる予定の方々にとっての参考になれば幸いです。







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